会社を倒産させるという事

35歳で会社を倒産させた壮絶な日々を赤裸々に綴ります。

12.資産隠し

第一回債権者集会は非常に次への不安を残す形で終わってしまった。

次はもっと荒れるのではないか・・・。

そんな印象を受けざるを得なかった。

 

なんせ

 

資産隠しをしている

証拠もある

 

と、言われているから。

 

これに関しては本当に僕はしていない。

できるわけもないと思っていた。

できるものならしたい。とも思うくらいだ。

 

いったい証拠とはなんだ?

本当に証拠があるならどこからの情報か?

 

僕には心当たりがあった。。。

 

実はこの頃、辞めてもらった元社員と金銭トラブルになっていたのだ。

会社にお金がないなんてやはり納得できないと。

営業会社であるから給与体系はやはり固定給にインセンティブもある。

そのインセンティブが納得できないようだ。

 

とんでもない話である。

 

僕は払いすぎなくらい払っている。

それでいて赤字現場の分はいっさい給料から引いていない。

本人もわかってはいるが、5000万円以上の赤字を出してしまった現場がある。

そこから会社が厳しくなったのは言うまでもない。

5000万円の赤字の現場という事は、単純に考えても5000万円の現金が必要だ。

それを作るのがどれだけ大変だったか。

潤滑に現金があれば良い。

でもそんなお金はなかった。

当然他も現場をやっていたので、あちらこちらに現金は寝ている。

運転資金を差っ引いて考えても、どうしても3000万円の現金が必要だった。

しかも早急に。

現金を持っていなくて作ろうとすると、単純に表面上5000万円の赤字でも5000万円では済まなくなるのが経営である。

「頭は動くが、身体の自由がなくなる。」

そんな感じである。

 

一社員にそれをわかれというほうが無理があるので、それは説明していない。

僕も社員時代には納得できなかっただろうから。。。

 

どうやら債権者と元社員が連絡を取り合っているらしい。

僕はそれに気づいた。

 

僕は詐欺で訴えられる。

 

直感で僕はそう思った。

 

そしてそれは的中であった。。。

 

とうとうその時はきてしまった。

僕は元社員に脅されたのだ。

考えてみれば恐喝かもしれない。

でも僕は詐欺のような事はしていない。

ご丁寧にICレコーダーまで用意して僕を詰めてきたのだ。

激しく言い合いをした。

ただ、

それでも僕は潔白である。

彼とはその日以来連絡をとっていない。

 

債権者とどのような方法で僕を追いつめるのかさすがに不安はあった。

でも僕は僕の主張をするしかない。

 

彼は僕と二人三脚でやってきた社員だ。

なんだか寂しい気持ちになっていた。

裏切りだとは思わない。

もっと自分がしっかりしていればこんな事にはならなかったんだと反省している。

でも、人は怖いなと実感した。

そして経営も怖いなと。。。

 

僕は第二回債権者集会がますます不安になっていた。。。

11.債権者集会(第1回)

5月30日

 

いよいよ債権者集会の日

 

僕の気持ちとは裏腹によく晴れていた。

14:30~スタートのため14:00の裁判所ロビーで弁護士の先生と待ち合わせをした。

当然ながら一睡もしていない。

極度の緊張のためだ。

 

98kgあった僕の体重はこのとき87kgまで落ちていた。

黒いスーツとグレーのネクタイで行くことにした。

こんな時に赤いネクタイは債権者の気持ちを逆撫でするのではないかと精一杯配慮したのだ。

 

債権者集会なんてもちろん初めての事だ。

勝手がなにもわからない。

職業柄、人馴れしている僕もさすがに極度の緊張状態だった。

なんせ僕に恨みを持つ人たちに会う事になるのだから。。。

 

14時になり、弁護士と裁判所1階ロビーで落ち合った。

債権者も通るかもしれないからという事で、僕は隅のほうに隠れさせてもらった。

こんな時の時間の流れは本当に早いものだ。

会場に入りたくない気持ちが強くなればなるほど、あっという間に時間が過ぎていく。

 

14:25分になり弁護士から会場に入る旨告げられた。

一気に僕の鼓動は高まった。

 

入口で会社名を告げて入ると、想像していたものよりはるかに大きい会場であった。

僕はてっきり個室かと思っていた。

ところが部屋には何十人もの人たちがいる。

もちろん空気もとてつもなく重い。

きっとこの中に債権者の方もいるのだ。

僕は下を向いて一番後ろの席に弁護士の先生と座った。

 

広い会場の前方にはホワイトボードがあり、会社名が書いてあるようだ。

そして、部屋の端と端にはテーブルとイスのセットがいくつもあった。

その時間は7件同時に行うようだ。

そういうものなのか。。。

完全にイメージと違う。

ホワイトボードには僕の会社が2番目に記載されている。

 

そしてとうとう時間になると、一人の人が前方のホワイトボード横にたった。

 

「今から債権者集会を始めます。名前をお呼びしましたら、債務者の方と債権者の方は各テーブルに移動して下さい。」

 

1番目の会社が呼ばれ、僕は変な汗が背中をつたったのがわかった。

次は僕だ。。。

 

「株式会社○○(僕の会社)、○○(僕の名前)さんの債権者の方は2番テーブルに移動して下さい。」

 

大声で呼ばれ、「席を一斉にたった人数が多い。。。」と思った。

それでも下を向きながら弁護士と一緒にテーブルに向かった。

 

テーブルの上には債務者と債権者の札が置いてあり、僕と弁護士の先生は隣り合わせに座った。

テーブルのサイドに破産管財人と裁判官。

僕の向かいは債権者という並びであった。

知っている人が8人、初めて見る人が2人。

どなたかの弁護士だろうか。

僕はそう思った。

 

ちなみに僕の席からは会場の全方向見渡せた。

あきらかに僕のところが一番多かった。

債権者のイスが足りてないので隣から借りてきていた。

 

裁判官が

 

「これから株式会社○○(僕の会社)の債権者集会を始めます。破産管財人のほうからお願いします。」

と言うと。

 

破産管財人から自己紹介のあと会計報告のような書類が全員に配られた。

預金残高や未回収金、未払い金などの詳細資料だった。

こういう状況なので当然と言えば当然ではあるが悲惨な内容の書類であった。

その内容を破産管財人から債権者に説明を始めた。

そして「配当できる見込みはありません。」と続けた。

 

「この人、間違いなく資産隠してますよ!証拠もありますから。これは立派な詐欺事件ですよ。」

と、一人が言った。

 

そして、それを発した本人と破産管財人が僕を見た。

いや、全員僕を見ていただろう。

僕はたまらず

 

「そのような事実はございません。」

 

と、答えていた。

なんとなく政治家の気持ちがわかる瞬間であった。

しかし、この日答えたのはこの一言だけである。

謝罪の一言も言える時間はなかった。

頭も下げるタイミングすらない。

 

 

一番厳しい意見はこれであるが、他にも色々厳しい言葉が飛び交っていた。

僕はまだ現在も最中なので詳細までは書かないが、主には

 

「○○の時に振り込まれた時のお金の使途を教えて下さい。」

 

「ベンツはどうしたんですか?」

 

「○○には○○の件で入金があるって聞いてましたけど、それはどうなったんですか?」

 

等々、本当に政治家の証人喚問のようであった。

しかし、大きな違いは僕は答えていない。

 

僕はこの債権者集会の途中で違和感を覚えていた。

この一回で終わるものだと思っていたのだ。

ところが、まず破産管財人が会計報告をしている最中にも、「これに関しては現在も調査中です。詳細がわかりましたらご報告します。」と、言っていた。

 

「ん・・・?調査中?報告します?いつ?」

頭が混乱した。

 

そして債権者の方々からの厳しい尋問にも、「証拠となる書類などは、あるようでしたら後日提出して下さい。」と、言っていた。

ひょっとしたら一回では終わらないのか・・・?

そう思うしかなかった。

 

この債権者集会中、まわりのテーブルが続々終わって帰っていくのが見える。

早いテーブルは5分くらいだろうか。

僕のテーブルのみとなった。

みんなこちらを眺めながら会場を出ていく姿が見えた。

 

どうやら15:30~次の債権者集会があるようだ。

僕のテーブル以外空になった会場に続々と人が入ってくる。

 

とにかく僕のテーブルは荒れていた。

 

時間もギリギリなんだろう裁判官も切ろうとしている。

そんな気がした。

確かに次の債権者集会が始まろうとしている気配がしていた。

けっこうなギャラリーの数だ。。。

僕は恥ずかしがる気持ちの余裕もなかった。

 

そして破産管財人が、次回ある旨を告げて締めくくった。

そうすると裁判官が

「次回は9月4日、時間は同じ14:30~でいかがでしょうか?」

と債権者達に問いかけた。

皆さん同意し、僕に問いかける事なく次回の日程が決まった。

 

「そんな先になるのか・・・。」

と内心思ったが、今日の内容が非常に厳しいものであったので、次はもっと厳しくなりそうだなと思った。

 

そうして第一回目の債権者集会が終わった。

と、思いきや裁判官は

「続きまして○○(僕の名前)さん個人の債権者集会を始めます。該当者の方々のみ残って下さい。」

と、言った。

2人残っていた。

 

「・・・?」

 

法人のほうと同様に破産管財人からの説明があった。

しかし先程とは違い、こちらは5分程度であっさり終わってしまった。

終了後に弁護士から聞かされた内容によると、個人のほうで残っていた2人は僕個人を訴えようとしているとの事。

 

そして今度は本当に債権者集会は終わった。

出口は同じ。

債権者が退席するのを確認して僕も出ることにした。

次の債権者集会が呼ばれ始めていたので、わりと入り乱れているように見えた。

誰か待ち伏せしてるのではないだろうか。。。

そう思ったが、誰とも会う事なく僕は裁判所を後にした。

 

ふと、以前破産管財人に言われた言葉を思い出して不安がよぎった。

 

僕は免責不許可になるかもしれない。

 

この日は、よく晴れていた。

若干暑かったかもしれない。

理由はそれだけではないが、

僕のスーツは汗で重たくなっていた。

 

10.破産管財人との打合せ

3月5日の破産開始決定から2か月以上先の債権者集会。

裁判所から選任された破産管財人(弁護士)と面談をした。

 

破産管財人は女性との事。

なんとなく少し安心したのもつかの間、色々な事を厳しく追及された。

女性だから安心なんて考えた僕がバカだった。

今の世の中けっしてそんな事はないのだ。

 

これもネットで調べた情報だが、けっこう皆さん良い破産管財人で良かったというコメントがあるが、僕は正直厳しい尋問などに困惑した。

約2年前の口座からの出金についても容赦なく追及してくる。

「覚えていません」では済まないのだ。

真剣に思い出すなり、資料を探すなりしないとクリアできない。

過去の領収証もすべて提出しなくてはいけない。

僕は接待など多かったこともあり、飲食店の領収証も非常に多い。

出金も覚えていない事も多い。

「免責不許可になるかもしれません。」とまで言われた。

 

債権者集会までに破産管財人と弁護士3者の打ち合わせは計3回行った。

連絡はほぼ毎日くる。

 

内容は

 

◆新たに発見した債務について

 

◆事務所解約と立退き手続き

 

◆社有車処分(ローン)について

 

◆社員への過去の給料等

※インセンティブもあるので毎月変動したりする。その根拠を示す。

一番苦労したのがこれである。社員と結託してお金を逃がしたと最後まで疑われた。現にこれについては債権者集会でも追及された。

 

◆現場のクレームについて(経緯などの説明)

 

社会保険などの件

 

◆不足提出物など(ETCカードなど)

 

思い出せる範囲でこのくらいだが、今も破産管財人とはやりとりしている。

とにかく細かく細かく色々でてくる。

理由はそれだけ債権者が納得していないとの事だ。

 

僕の乗っていたベンツも業者がきて持っていかれた。

走り去るベンツを見て、すごく寂しい思いがしたのをはっきり覚えている。

僕は不動産業を始める前職は自動車業だったくらい無類の車好きだ。

ベンツもやっと手に入れた車だった。

 

そして破産管財人の指示と手配のもと事務所も撤去された。

会社の事務所を引き払い、最後に鍵を破産管財人に手渡した瞬間に、なんとなくホッとしたような気がした。

ここまでくると失うものは命くらいになってくる。

手に入れていたものが日を追いごとに、次から次へと手元から離れていく。

寂しさを通り越して、ホッとしている気持ちを今も覚えている。

 

もう僕は社長じゃない。

地位も名誉もなにもない。

社員も事務所も車もなにもない。

会社で飼って気に入っていた鯉は川に逃がした。

飼った時には5cm程度だったのに20cmにもなっていた。

 

ここまでの半年くらい僕はまともに寝ていなかった。

いや、寝られなかったといったほうが正解だろう。

でも、最後に事務所を引き払った日は、安堵感なのかぐっすり眠れた。

こんな事にはなってしまったけど、夢と希望もって始めて、現実の厳しさを味わったり、サラリーマンでは経験できないような喜びも経験できた。

とにかく突っ走り続けて、疲れてしまったかな。。。

9.破産開始決定

僕は逃げた。

とことん逃げた。

ずるい男だと思う。

正直ここまでしんどいものだとは思わなかったからだ。

 

こんな時に人間の本当の姿がでるのかもしれない。

逃げるのがいいのか?

無い袖は振れないと開き直るのか?

謝る事しかできなくても頭を下げ続けるのか?

どれが正解なのか、他に選択肢があるのか今でもわからずにいる。

ただ一つわかるのは、「ここまでこなければ良い」である。

 

しかしながら僕にとってマイナスだけではないという事もある。

 

①身をもって体験した事なので、二度と同じ失敗はしないと思う。

※する人もいるがそれもプラスなのかもしれない。

 

②お金の大切さが実感できるとともに、お金の虚しさを知る。

 

③まわりの人の人間性が見えてくる。

 

④人への感謝の気持ちが強くなる。

 

こんな感じだと思うが、特に③だ。

一度でも儲かると、驚くくらい人が寄ってくる。

しかも異性にモテる。

しかし会社が傾くと、去る人、説教する人、心配してくれる人、心配してるフリして喜んでいる人。

と、色々でてくる。

これを読む人は既に実感している人もおられるだろう。

とてもよくわかってしまうものだ。

僕が今までになく人を疑いの目で見てるからかもしれない。

もっとよくわかるのが、こんな状況の僕を真剣に助けてくれようと頑張ってくれる人もいる。

人との付き合い方が良い意味で変われたのかなと思う。

 

今回の経験は自分にとって将来必ずプラスになる!

 

話を戻そう。

 

弁護士が受任通知を債権者に送ってからというもの、何度となく弁護士と打ち合わせの時間が設けられた。

債権者からの指摘事項などの確認だ。

○○のお金は何に使ったか?などだ。

ちなみにこの頃になると、会社の実印含めて印鑑や通帳はすべて弁護士に預けてしまうから何もできなくなる。

僕の場合はそもそも会社にお金がなかった。

 

僕の場合は建築中の現場が7件あったというのもあるが、債権者との話し合いはかなり難航しているとの報告を受けていた。

「おそらく債権者集会にも来ると思います。誠意をもって謝罪して下さい。」

と、弁護士から告げられた。

そうか、逃げてはいても債権者集会で顔を合わすんだなと思うとかなり気が重くなっている自分がいた。

 

時間はかかったが、書類もすべて整い裁判所に破産申立てをした。

これらもすべて弁護士の先生が行ってくれる。

そして3月5日、僕の会社は破産開始決定となった。

 

ネットの情報は早いものだ。

会社名を検索すると、すぐに「○○(僕の会社)破産開始決定」と、でてきた。

 

次のステップは裁判所が選任した破産管財人との顔合わせと打ち合わせだ。

この破産管財人も、ネットの情報によると人それぞれみたいなところがあるので、どんな人なのか内心不安だった。

 

そしてもう一つ大事な事が決まっていた。

 

第一回債権者集会は5月30日

8.夜逃げ

弁護士にも会社の破産手続きを依頼をした。

同時に個人の破産も当然ながら依頼をした。

 

当初2013年12月に依頼したかったのだが、紆余曲折あり2014年1月末になってしまった。

やりとりは全部弁護士がやってくれるのか。

少しだが肩の荷が下りたような気がした。

 

費用に関しては裁判所への予納金というものがあるらしい。

それに弁護士費用を合わせて、約90万円と考えておいてほしいと言われました。

色々調べたものより安いのかなと感じた。

そうか顧問弁護士が少額管財でいけると言っていたなと思い出した。

弁護士の報酬は、破産手続き中に回収できるものを充てるように努力しますと言ってくれた。

もちろん支払いばかりではなく、回収できる資金も微々たるものながらあったのだ。

不動産会社の多くが加盟している不動産保証協会への供託金60万円もそれの一つだ。

 

弁護士の先生から「受任通知」を債権者の方々に送ってもらったが、破産手続きは難航していた。

それでもやはり僕に連絡してくる方はしてくるのだ。

この頃の僕はもう会社には行っていない。

自宅へも誰か来ているようだ。

インターホンの鳴り方でだいたいわかるものだ。

音は同じでも殺気立って聞こえるのだ。

いよいよ会社が倒産する事を知って、激怒している方も多いだろう。

僕が資産隠しをしていると思っているようだ。

 

話しは反れるかもしれないが、僕も会社を倒産させることについて色々調べたり聞いたりしてだいぶ詳しくなっていた。

資産隠しについて勧められたりもした。

僕も人間だから正直考えなかったと言えば嘘になる。

でもやらなかった。と、いうよりできない状況であった。

これは会社を倒産させようとする方々は皆考えると思うが、約1年がかりくらいで本当に計画してやらないと現実問題無理である。

いわゆる「計画倒産」というやつだ。

僕は現に、通帳から約2年分の振込みと現金出金の証明を求められた。

少しでも怪しい動きのお金があれば容赦なく追及される。

僕も会社の末期には、顧問税理士に費用が払えず帳簿もつける事ができなくなっていた為に、この件はすごく苦労した。

特に個人からの借り入れなどの場合は信用で借りているので契約書がなかったり、現金で受け取った為に現金で入金して、利息を上乗せして返済していた為につじつまが合わなかったりしているのだ。

今考えれば、やり方はあったのだと思うが、窮地にたたされる事が多かったのでそこまで頭がまわらなかったのだ。

 

 

僕はいよいよ本当に殺される恐怖に怯えていた。

 

「逃げよう」

 

それしか思いつかなかった。

ひとまず自宅と会社から離れた場所のまんが喫茶にこもった。

しばらくここで過ごそうと思っていた。

今どきのまんが喫茶はシャワー完備などが主流らしい。

僕が泊まっていたところは、そんなものはないらしい。

狭くて汚いし、人数入るわりにはトイレは一つだけ。。。

そこにきて2週間が経った。

もちろんまわりからの連絡は弁護士以外シャットアウトした。

これが社会問題になっているネット難民てやつか。

そう思いながら我慢していたのだが、こんな生活でも結構お金がかかってしまう。

 

どこに逃げるか。。。

 

色々調べていたら「マンスリーマンション」というのが安くて家具付きという事がわかった。

僕は早速借りる事にした。

賃料は一日あたり2000円の部屋にした。

11㎡の狭い部屋であったが、まんが喫茶に2週間住んだ僕にしてみれば昇格だろう。

僕はしばらく住むことにした。

車はベンツのSクラスに乗っていて、住まいはほぼ夜逃げ状態。

なんて情けない話だろう。

このマンスリーマンションには2月いっぱい住んでいた。

他の居住者はご年配の女性、若い男性、女性など様々だったが、みんな訳ありだろうか。。。

そんな事ばかり考えていた。

僕が人生の中で生きる気力と意味を失いかけていたのは、本当にこの時期だけではあるが、やはりこの部屋でもそんな事を考えたりもしていた。

 

この年は大雪だった。

大雪が2回もあって出かけるのもままならない日だった。

僕もいい加減逃げることにも疲れていた。

逃げたら逃げたで、まわりの状況がわからなくなるので不安になるものだ。

何を考えていたかはわからないが、この日に迷惑をかけたお客さんと電話で話した。

このお客さんは実は以前、僕の実家まで行き、僕の父に涙ながらに僕と連絡を取りたいと訴えていた事があった。

正直申し訳ない気持ちでいたのだずっと。

逃げる自分にも嫌気がさして電話したのだろう。

 

「私たちは〇〇社長(僕)を信じて大きい買い物をしたんです・・・。会社は倒産すれば終わりかもしれないですが、私たちは始まる事もできなくなってしまったんです。」

 

このお客さんは、僕の会社で建築中のお客さんだ。

建築中の資金が払えず建築がストップしてしまっていたのと、破産手続きをしたので、工事が完全に止まってしまっていた。

建築工事の中間金なども頂いていたが、既に支払って頂いている分に見合うところまで工事ができずにいて最悪な状況になっていた。

 

僕は本当にお客さんに幸せになってほしくて会社を始めたのだ。

ところが今の状況は殺人に近いものがある。

もはやそれ以上なのかもしれない。

 

「こんな人の幸せを奪うような人間なら生きている価値がない。

「死んだほうがよっぽど世の中のためになる。

 

外は大雪が降り盛る中、僕は5階の部屋から窓を開けてそう考えていた。

いっそ飛び降りようかと。。。

白くてきれいな雪が真っ赤に染まるのかな。。。

僕の血ははたして赤いのか。。。

 

死ぬ勇気すらなかった。

僕にできるのは、もう泣くことしかできなかった。

 

どうせ生きるしかないなら、少しでも良い事をしよう。

少しでも多くの人のために。

どんな事でもいい。

人のためになるなら。

僕は心からそう誓っていた。

7.Xデー

2014年1月

 

僕は中途半端な気持ちのまま正月を迎えた。

12月31日まで鳴り響いた電話も急に静かになっている。

「そうか、さすがに正月は鳴らないんだな。」

そう思った。

何か月ぶりの平穏だろうか。

ここまでくると逆にそれはそれで不安なものだった。

嵐の前の静けさ・・・。

それは的中だった。

1月3日からやはり電話が鳴りだし4日は土曜日であったが、すごい鳴りようであった。

着信音はごく普通の音にしているが、この音も殺気立って聞こえる。

早く弁護士を探さなくては。。。

 

6日月曜日になり、僕は知り合いに頼って会社破産に強いという弁護士を紹介してもらう事になった。

悩む暇も吟味する時間も余裕もない。

もうすぐにでもお願いしたい気持ちばかりが焦った。

最初は電話で弁護士の先生と話した。

今までの経緯や顧問弁護士にお願いできない理由などを簡単に話した。

後日先生と会う時までに「債権者リスト」を個人分と法人分作成するよう言われた。

法人分は作成していたが、個人分は作成していなかったので急いで作成した。

この時の必要資料は下記の通り

◆債権者リスト 個人分と法人分

◆債権内容をまとめた書類

◆決算書すべて(3期分)

◆会社で保有する在庫をまとめたもの

  ※車やコピー機、不動産などあれば

◆通帳すべて 個人分と法人分

◆金融機関等の借入返済表

◆各種契約書関係

◆各種請求書関係

◆印鑑 個人と法人

◆社員に会社の状況を説明しておくようにとの事

これらを揃えるには会社に行く必要があった。

行きたくないなんて事は言ってられないので、僕は深夜にこっそりと会社に行った。

とはいえ、夜は夜で照明をつけなくてはいけなくなるので、もうすぐ明るくなるであろう朝方4時半に行った。

今、債権者に会ってしまうともう僕を逃がさないだろう。

必死だった。

特別な書類があるわけではなかったのですんなり揃った。

いつもきちんと事務の子が整理してくれていたからだろう。

なんかまた申し訳ないなという気持ちになって泣けてきた。

と、同時に僕にはまだ大事な仕事があるのだ。




社員に倒産しますと言わなくては。。。




これは本当に気が重かった。

ただ、この時には僕以外では2人だけだった。

2人だけだからこそ親密な社員なのだ。

しかも僕の会社を気に入ってくれていた。

僕は本当に幸せだったのだ。

頑張って働いてくれている姿や、食事などに行って楽しく過ごした時間の事とか思い出すことは山ほどある。

やっぱり僕には財産だった。

2人に話した時の事はいまだに忘れられない。

思い出すと胸が締め付けられてしまうのだ。

1人は営業マンだったので、他の会社へ斡旋する事でなんとか理解してもらった。

彼はけっこう会社の為に働いていたという自負があったので、最初は「なんでお金がなくなるんですか?」など納得できない様子でいたが、あくまで僕は自分のせいで申し訳ないと謝罪をするしかなかった。

この彼とは、その後また金銭トラブルになってしまったので、やはり書面などでちゃんとした形で同意を得ておくべきだったと反省している。

とはいえ、あの精神状態でできたのかは疑問ではあるが。。。

 

もう一人は女性の事務の子だった。

この子は僕の知り合いの紹介で働きだしたのだが、1年くらい務めてくれた。

働いたのは1年くらいだが、僕ももっと前から知っている子だったので、ずっと働いてくれてたかのような印象すらあったくらいだ。

会社をたたむと話したら、この子は泣いてくれた。本気で。

「私は○○(僕の会社名)が好きだった。」

僕の胸にグサリとナイフが刺さったかのような衝撃を受けた。

最後のころはクレームと債権者からの厳しい電話対応ばかりしてくれていて、本当に嫌だったろうに。

この子が最後の出勤を終えて帰った後、僕はやはり泣いてしまった。

実は年末にこの子のお父さんがお亡くなりになっている。

僕も会社の代表として葬儀に出席させていただいた。

この時にはもう会社を倒産させる気持ちは固めていたので、この子にもご両親様にも本当に申し訳ない気持ちでいたのをよく覚えている。

お父さんがお亡くなりになって間もなく勤めている会社が倒産するなんて、悲しいだろうなと。。。

それもあって僕は本当話すのに勇気が必要だった。

実は今も最後の給料を払えていない。

手渡しで渡したのだが、「受け取れない!」と言って僕に返したのだ。

本当に泣きそうになった。いや、また泣いた。

もうどれだけ涙を流したかわからないくらい毎日のように泣いていたと思う。

やっぱり人が大事、本当にそう思った。

僕がまた経済的にも精神的にも力をつけた時には、この子が困った事があれば、僕は自分の身を削ってでも助けてあげたいと心から思っている。

社員解雇も終わった。。。

もう僕は疲れ切っているのだが、最後の大仕事に向かう時がきた。

とうとうXデーを迎えるのだ。

ちなみに説明不足であったが、「Xデー=倒産の日」らしい。

明確な定義はどの日を指すのかはわからないが、僕は弁護士に依頼した日と解釈して進めていた。

 

そうして僕は弁護士事務所にすべての書類を持って行った。

「先生、すべて終わりました。お願いします。」

 

こうして取り急ぎ弁護士の先生からすべての債権者に「受任通知」を送ってもらった。

「受任通知」というのは、会社が破産手続きに入った事、弁護士が依頼を受けている事、債務者(僕)と直接連絡をとらない事を明記した書類だそうだ。

これが翌日には債権者の手元に届き、それからのやりとりは僕にかわり弁護士の先生が行ってくれるとの事。

25件あったのできっと混乱を招くだろうなと容易に想像がついた。

 

僕は会社を倒産させるという事は、これでほぼ終わりだと思っていた。

あとは先生に全て任せるものだと思っていた。

もちろん債権者集会に出席する事などはネットの情報や先生からの説明で知っていたわけだが。。。

6.誤算そして誤算

不動産会社の社長としてお客様との最後の仕事だった。

もうこれ以上はやりたくてもできない。

最後くらい良いものにしたいと思っていた。

 

会社経営もこのくらいまでいくとどこからも運転資金を貸してくれる金融機関がなくなってしまうものだ。

当然僕も銀行やノンバンクにあたっていた。

1社だけノンバンクが1000万円を貸してくれていたのだ。

ところがその返済期日も過ぎており返せずにいた。

当然その会社からも毎日連絡がきていた。

自宅にも来ていた。

問題はここからだ。

 

僕は申し訳ないとは思いながらも、この会社には返済できずに会社を倒産させるだろうと思っていた。

ところがだ。

お客様にお引渡しする土地をその会社が差し押さえてしまったのだ。

引き渡しまであと10日。

登記簿謄本を確認した司法書士からの連絡でそれを知った。

僕は焦った。

中々文章では臨場感が伝えられないが、背筋が凍りついた。

この土地を引き渡して丁度1000万円残る予定でいた。

その1000万円を差し押さえられてしまったのだ。

この頃、建築現場もあったが、工務店への支払いも滞っていたので7件の建築現場の工事がストップしていた。

けっこうな金額ではあったが、焼け石に水かもしれないが工務店の社長にこの1000万円を支払う約束をしていた。

僕のせいでこの工務店の経営も危うくなっていたのだ。

本当にお世話になった社長なので、少しでもできる限りの事はしようと思っていたのだ。

もう限界地まできている事は十分伝わってきていた。

払えないって知ったら自殺するんではないか・・・。

はたまた殺されるんではないか・・・。

もうなんにも手につかないくらい何もかも嫌になっていた。

 

不特定多数の方が見ることができるブログなので、書けるギリギリのところで書いてはいるが、実情は全てもっともっとひどかった。

だいたいこのくらいまでなってくると、道を歩くにしても必要以上にキョロキョロしてしまう。

なるべく人に背中を向けないようになる。

異常なほどに音に敏感になる。

眠れない、寝たら起きれない。

起きて携帯電話の着信履歴を見たくない。

落ち着ける時間がない(深夜も電話が鳴ってる)

こんな状態になる。

 

話を進めます。

 

1000万円の差し押さえはついたもののお客様への土地の引き渡しは差し押さえを解除して無事に終わった。

この日のうちに工務店の社長に連絡をして約束していたお金を支払う事ができなくなった旨、あとは会社をたたむ事を伝えた。

僕が外部の人に初めて伝えた瞬間だった。

工務店の社長は僕にこう言った。

「なんとか頑張れないんですか?でもここまできてしまっているし無理ですよね。僕もきついからわかりますよ。社長(僕の事)の事だからまた別の形でうまくやるつもりでしょ?その時は助けて下さいよ。」

意外だった。罵声のひとつもあるかと思っていた。

電話を切って僕は悔しいやら情けないやら申し訳ないやらで、涙が止まらなかった。

この社長は毎回債権者集会に出席している。

来月のも間違いなく来られるだろう。

僕が一番迷惑をかけてしまったと思っている人だが、今まででたったの一回も僕を責めなかった。

迷惑を掛けてしまっている方は多数いるので、一番という言い方は語弊があるかもしれないが、金額的にも、それをとりまく様々な事柄的な意味で。

抱えていた裁判では僕のかわりに責められる立場にもなってしまっているのだ今も・・・。

 

いよいよ業務も終わり、弁護士に会社を倒産させる手続きを進めてもらうようお願いするところまできた。

この後僕には

 

更なる誤算が待っていた。

 

顧問弁護士にアポイントを取り、事務所に伺った。

「先生、以前ご相談した会社をたたむ件ですが、すべて業務が終わりましたので進めて下さい。」

そのように依頼をした。

そのあとの先生の言葉に僕は驚いた。

「実はね社長、私にはそれができないんですよ。」

「・・・!?」

言葉を失いかけたがすぐに

「なんでですか?以前やっていただけると仰ったじゃないですか?」と続けた。

先生の見解はこうだった。

現在依頼して進行中の裁判がある。

こちらは訴えられている側だが、「僕の会社」「工務店」「お客様」の3者が訴えられているのだ。

簡単に言うとこの3者は仲間であるから当然、僕の顧問弁護士が3者を担当している。

ここで僕が倒産となればこの「工務店」「お客様」の2者は債権者となる。

簡単に言うと「仲間」だったものが、「敵対関係」となる。

先生の説明によると、一度弁護した人間を敵対関係にする事は弁護士法に抵触するらしい。

 

僕のXデーは振り出しにもどってしまった。

この時、街はクリスマスも終わりすっかり年の瀬になっていた。

僕は年内に手続きをして、せめて少しでもすっきりした正月を迎えたいと考えていた。

今から他を探してではさすがに間に合わないだろう。

年を越してからXデーを迎える事を余儀なくされてしまった。

弁護士も探さなくては。。。

5.Xデーまでの日々

街はコートを着る人も増えてきた。

風もだいぶ冷たい。

 

「会社を倒産させるという事」

僕の中の船は大海原への航海が始まったばかりだ。

何が起こるのか想像もできなかった。

 

この時の僕の体重は98kgもあった。

ストレスも半端ではなかった。

ちなみに今の僕はジムに通い体重も73kgになりだいぶ筋肉質になってきた。

食べる事くらいしか喜びがなかったからだと思う。

 

車はベンツを乗っていた。自慢のSクラスだった。

この車もローンで買っているからいつか持っていかれるんだなと、ひとつひとつのものにも感慨深くなっていた。

 

早くXデーが来ないか。

この時の時間はものすごく長く感じた。

なんせ前向きな仕事なんで何一つない。

全部整理する事だけだから。

 

僕の心の中は決めていても、まだ世間は知らない。

だから当然相変わらずの着信の数と会社への訪問の数。

電話はほとんど出ていない。

会社への訪問も出ていない。

事務の子も心配する。

運が良かったのは、僕の会社はマンションの1室だから実はオートロックになっていた。

不動産屋らしくないが、僕は派手な店構えでやるよりも「隠れ家」のような雰囲気が好きだった。

だから誰が来ているかはわからなかったが、僕は居留守をつかえた。

本気で殺されるかもしれないと考えていたのででれなかった。

会社を出るのはいつも深夜にコソコソとという感じだった。

 

しかしながら、いかんせん狭い業界なので仲良い人から「○○(債権者)が躍起になってお前を探してるぞ」などという声も耳に入っていた。

会社へのメールの数も内容もすごい。。。

留守番電話も殺気立った声が残っている。。。

 

「本気で殺されるかもしれない」

 

この時に遺書を書くべきかどうか悩んでいた。

でも遺書に書く内容は謝罪しかない。

書いてもしょうがないか。。。

どうしてここまで真剣に悩んでいたかというと理由があった。

丁度その頃に世の中では事件があった。

某餃子チェーン店の社長が射殺された事件だ。

それもあって僕は無性に敏感になっていた。

「僕には殺されるような理由がある。」

そう考えていた。

 

迷惑をかけた人たちに対して本当に失礼だし、自分勝手な話になるが、会って話ができる心の余裕はまったくなかった。

たまに電話やメールで話しては「なんとか頑張ります」というのが精いっぱいだった。

ここまでくると「頑張ります」なんて言葉は便利な日本語なだけで何の役にもたたない。

いつまでに、どうやって、できなかったらどうする。

これを求められる。当然だと思う。

僕が相手方でも同じだろう。

「会社を潰すつもりなのか?」とも聞かれた。

「いえ、なんとか切り抜けるつもりでいます。」

と、答えるのが精いっぱいだが、何の解決もしない。

すべてXデーまでの辛抱だ。

そう思うしかなかった。

 

読んでいただいている方の中には、僕の事をなんて勝手な人間なんだと感じるかもしれない。

男だったら逃げずに正々堂々としたい気持ちはもちろんあった。

僕は人より強いほうだと思う。

ただでは死なない男だと今でも思う。

でも、この時ほど恐怖を感じていた事はない。

色々な事を考えていた。

東日本大震災でお亡くなりになった方達や、事件などに巻き込まれて夢半ばで命を落とされた方達を想えば僕なんかは生きてるだけで丸儲けじゃないかと。

なんとか歯を食いしばって頑張ろうと思った。

 

ある時ネットで自分の会社を検索した時の事。

 

「〇〇(僕の会社名)不渡り」

 

というタグが上部についていた。

「・・・!?」

正直驚いた。

何が驚いたかというと僕は手形や小切手の決済をしていないので不渡りになるという事はありえなかった。

嫌がらせか?とも思った。

色々調べたら、多い検索ワードがでてくるらしい。

その後まもなくしてこのタグは増えていった。

 

「〇〇(僕の会社名)破産」

「〇〇(僕の会社名)倒産」

「〇〇(僕の会社名)○○(僕の個人名)」

 

ネット社会は怖いな、本当そう思った。

仲良い方から心配の電話などももらった。

それでも僕は「なんとか頑張りますから!」と気丈に振舞っていた。

 

この頃、2件あった在庫も1件無事にお客様にお引渡しをして残り1件となっていた。

この1件を無事にお引渡しできればいよいよXデーを迎える。

最後の気力を振り絞って毎日毎日生きていた。

 

まさか最後の最後の1件でこんな事になるとは。。。

 

僕は落胆した。。。

 

 

4.顧問弁護士への相談

11月某日、よく晴れていたが、すっかり風も冷たくなってもう秋という感じ。

僕は顧問弁護士に初めて会社を倒産させる相談に行った。

 

「先生、今の裁判の件も心配なのですが、実は会社を整理しようと思うんです。」

 

弁護士費用の支払いの遅延もあったので弁護士の先生も気づいていたかもしれない。

この手の話は慣れているからなのか先生は驚きもしなかった。

 

ちなみにその時お願いしている裁判もなんとも悲しい裁判だった。

これに関しては実は現在も進行しているので、多くは書けないが、近隣トラブルであった。

今となって考えれば、勝った負けただけで物事を考えていいのかはわからないが、決して負ける裁判ではなかった。

この裁判も僕が会社を倒産させる事に踏み切った理由の一つだろう。

 

あれは4回目の裁判の日だった。

毎回同席して裁判官に説明をしてくれていた設計士がいた。

その設計士が3回目の裁判の時に計算ミスをしてしまった。

その計算が成り立てば、その回で終わるかもしれないという大事な局面であった。

今考えると、設計士はそのミスですごく自分を責めて追いつめてしまったのではないかと思う。

そして迎えた4回目の裁判の日。

なんとかミスを挽回して良い結果になるのではないかと僕は期待していた。

ところが、待てど暮らせど設計士は来ない。

結局その日の裁判は終わってしまい、こちらはなにもできないままになってしまった。

 

いったいどうしたんだ・・・。

なんで来ないんだ・・・。

昨日も電話でお願いしたばかりなのに。

 

それから間もなく工務店の社長から電話が入った。

 

「○○さん(設計士)、亡くなりました。朝事務所行ったらパソコンにもたれかかっていて、急いで救急車で病院に行きましたが、もう息を引き取っていて。」

 

僕は言葉がでなかった。

その電話で僕が何を話したかそのあとは覚えていない。

 

僕はその設計士を一度だけ罵倒したことがある。

それに関しては、いまだに僕は悪くないと思っているのだが、不思議なもので亡くなったとなると、なにもかもその人に対して後悔してしまう。

僕のほうが、ずっと年下なのに怒鳴られてどんな気持ちだったかなって。

ストレスあたえてしまったのかな。。。

苦しませてしまったのかな。。。

とか、とにかく考えてしまう。

 

こんな日でも僕は夜業者と食事に行かなくてはいけなった。

そう、まわりに僕が倒産させるのを悟られてはいけなかったから。

いつもと同じような生活をしなくてはいけなかった。

違うのは頭の中だけ・・・。

人前では笑顔でいなくてはいけないから、僕は時々自分が多重人格者だと思うぐらいになっていた。

この日は特にとてもそんな気分にはなれなかったが、それでも行かなくてはならない。

食事が終わって一人になれたのが深夜3時過ぎだったと思う。

ようやく一人になれた。

設計士の事が脳裏にうかんだ。

いや、この日は設計士の事ばかり考えていた。

一人になった僕は、いい加減涙も抑えられずにいた。

もうとまらなかった。色んな気持ちが入り混じって。

この日を境に一つの思いが僕を苦しめ始めるはじまりだった。

 

「いったい俺は、何人の人を不幸にするんだ」

 

「夢のマイホーム」という言葉がある。

僕が不動産屋として独立したのは、稼ぎたいのももちろんだが、やっぱりお客さんに幸せになってほしいという思いが強かった。

銀座まるかん創業者の「斉藤一人さん」の本を読みあさっていた。

その斉藤一人さんの影響で、目の前の人を片っ端から幸せにしたいって考えていた。

僕は「夢のマイホーム」を人に提供できる仕事に就いていて本当に幸せだと思っていた。

 

それが今は・・・。

本当に情けなかった・・・。

設計士がこんな事になってしまった時に不謹慎ではあるが、本音はもう死んでしまいたかった。

本気で自分なんかいないほうがいいと考えていた。

この時の僕の状況は良いことなんか一つもなかった。

毎日罵声を浴びて、携帯電話は途切れる事無くなり続け、会社の電話もなり続け、自宅には脅迫にもとれるような電報が届く始末。

もう心身共にクタクタだった。

 

この頃の心境を綴れば本1冊2冊くらい軽く書けるくらいだと思う。

でもまだ倒産に向けて走り出したばかり。

 

僕は倒産の第一歩として弁護士事務所にいるのだ。

 

裁判の件は、設計士の事もあるし、僕は諦めていた。

「先生、裁判の件はもう手を引いて後処理お願いします。」

そう頼んだ。

そもそも倒産しようとしているのに僕には選択肢もなにもないのも事実だ。

 

会社を倒産させるという事について話を進めた。

弁護士の先生は確かに慣れているので、僕があらかじめ作成しておいた債権者リストと会社の状況をまとめた書類を見るなり、こう言った。

「この状況なら会社潰してやりなおしたほうがいいですよ。まだ若いんだし、いくらでもやり直しできるから。」

僕は日々の罵声に慣れてしまったせいか、てっきり先生に怒られるんじゃないかと心配していた。

でも答えはあっさりしたものだった。

「これなら少額管財でいけるし、すぐ終わりますよ。」と、言われた。

 

これに関しては後に少額管財ではいけずに、時間も費用もかなりかかるものになってしまった。

 

この日、先生に相談した事ですごく気持ちが楽になった。

色々心配事はあるものの、先生がうまくやってくれるから大丈夫だ!

と、確信した。

 

ちなみに時期に関して聞かれたが、僕の希望で、今ある在庫が契約済のお客さんに無事に引き渡してから倒産したいと答えた。

この時僕にできるせめてもの誠意のつもりだった。

それをしないで手付金だけ預かって倒産したら、対象の不動産は競売にかけられ、お客さんから預かっている手付金がお客さんの手元に戻らない事くらい僕にも容易に想像できたからだ。

弁護士に任せれば、債権者達に弁護士から通知を送り、一切のやりとりを任せられるとの事。

まだできない。お客さんに土地を引き渡すまでは。

 

それから約2か月近く我慢の日々は始まった。

なにがあっても倒産する事は言ってはいけない。そんなぎりぎりの毎日だった。

 

とにかく方向性は決まった。

あとは時期を待つだけ。

 

Xデーは2013年12月

3.倒産準備

前回書いたように、僕は最後の勝負に負けたので潔く会社を倒産させる準備にはいる事にした。

 

とはいえ、何から手を付けていいのかわからない。。。

この時実は在庫が2件あり、既にお客様とご契約をしていた。

この2件の土地だけは無事にお引渡しをしてあげたい。。。

手付金ももらってしまっているので。。。

そんな事もあり、すぐには行動に移せなかった。

 

情報収集をしよう。

今まで「倒産」という事実は頭をよぎりながらも、考えたくなかったので詳しい事は知らなかった。

とはいえ、同業者の社長さん達ともよく交流させていただいていたので、過去に倒産している社長さん達も実は少なくない。

悩んでいる暇はなかった。

僕はすぐに相談しに大先輩の会社を訪ねた。

 

「実は会社をたたもうと思っているんです。」

その会社の社長は驚きもせずに相談にのってくれた。

「うまく倒産したほうがいいよ!この先も生きていくんだから!」

と言われたが・・・。

「うまく・・・?」

意味がわからなかった。

うまくも何もお金ないですから・・・。

なんて会話をしながら、債権者や借入のリストをつくるように言われたので、すぐに会社に戻り作り始める事にした。

社内には社員もいたが、僕は平然を装いながら粛々と作っていた。

リスト化してみると、すごく現状がわかりやすかった。

それと同時に、お世話になった人たちに支払いができないという空しさと罪悪感で押しつぶされそうになった。

 

「社長、コンビニ行きますけど何か買ってきますかー?」

そうやって僕に話しかけてきたのは事務の子だった。

「いらない」

そう答えた。

「珍しいですねー!?具合でも悪いんですかー?」

そうか、いつもはこんな時は必ずここぞとばかり色々買ってきてもらってたんだ。冷静じゃないんだな。

「あー!ごめん!からあげあるだけ買ってきて!」

こんな会話をした。

なんで覚えてるって、具体的に倒産に向かう初日に、こんな日常のたあいもない会話もなくなるんだと思うと淋しかった。

なんか泣けてきたのを覚えている。

今まで当たり前だった日常がなくなるという事を初めて意識した瞬間だった。

 

僕はリストを眺めながら対策を練った。

対策といっても、どこにいくら支払って、どこがいくら債権が残るか。

どのタイミングで債権者に会社を倒産させる事を告げるか。

正直僕には判断ができなかった。

 

そうだ、顧問弁護士に相談してみよう。

 

心強い人を思い出した。

その顧問弁護士は実は、相談した大先輩が会社を倒産させた時の弁護士だった。

この時の僕は裁判を抱えていたので、この弁護士の先生とも頻繁に連絡をとっていた。

すぐに連絡して相談がある旨を伝え、翌日のアポイントを取り付けた。

 

さぁ、いよいよだ。。。

 

2.迷い

続きを書きます。

一応あらすじというか、僕は不動産会社の社長だった。

簡単に言えば土地を仕入れて売る仕事。

仲介もやっていた。

今倒産を考えている社長さん達の少しでも役にたてばと思い書き始めました。

まわりは敵しかいない。そんな心境だと思います。

何を信じていいかわからない。

そんな時に僕も多くの実体験をされた方のブログに勇気と情報をもらいました。

でも、本当にやばい倒産の仕方をした人はブログなんかに書けないかもしれない。

僕も1年間書く気持ちの余裕もなければ、書いたらやばい気がした。

なぜかというと、ネットで調べる多くには、「債権者集会に債権者は来ませんでした。」

と、ありました。

 

僕の第一回債権者集会は・・・

10人の債権者が来て罵声が飛んでました。

 

 

僕が倒産を意識し始めたのは2013年の夏ごろ。

まわりの同業者は誰もが儲かっている会社だと思っていた。

それは間違いない。。。

それもそのはず、僕は毎晩飲みにも行っていたし色んな人たちと交流した。

Facebookにも芸能人と遊んでいる写真をUPしたり。。。

今考えるとヤケ酒かな。

 

このまま行くと正月が越せない!

 

これを感じていたのは社長の僕だけ。

僕の会社の経営状態を知っているのは僕だけだから。

税理士は知っているけど呑気なもんだった。

「○○社長の手腕なら大丈夫ですよ!」と、言っていた。

正直、本気で言っているのか耳を疑った。

 

夏が終わる頃には、色々な支払いに滞りがでてきてしまった。

建築費、広告費、車のローン等々

電話が頻繁にかかってくる事が多くなり、事務の子も心配していたけど社員の給料は意地でも遅れることなく支払った。

僕自身もサラリーマン時代に嫌な思いをしたからだ。

特に建築費が重かった。

1回に200万円だの500万円だのの金額を支払う期日がきてしまう。

入金が途絶えてきてしまう。払うお金がない。

このころの僕にはお金を貸してくれる人が何人かいた。

600万円借りたり、2000万円借りたりしながらなんとかやりくりしていた。

「色んなことを夢見た社長業もこれが現実か。。。」

毎日こんな事を考えていた。

借りたお金で急場を凌ぐと、今度はどうやって返済するかという魔のサイクルに襲われることになる。

しかも急場だったので、利息は1ヶ月で最低でも10%で借りていた。

毎月毎月これを繰り返していくと、すぐに限界はきてしまう。

それはさすがに僕にもわかってはいたが、もうどうしようもない。

売ってお金になる在庫も少ない。。。

そもそも在庫全部売り切っても返しきれない。。。

取り急ぎ3000万円必要だ。。。もう待てない。。。いや、待たせられない。。。

 

毎日泣いたり怒ったり、頭抱えては苦しむ日々でした。

自殺する経営者の気持ちもよくわかる。

本当にそう思いました。

 

なんとか気持ちを入れ替えてみる。

経営者やれば誰もがピンチを通り抜けている。僕もそうだ。

会社の残高が1000円切った事が何回あったか?

3年間で売上10億までしたとはいえ、僕はもともと300万円だけ握りしめて始めた会社だ。

たった一人で。

最初からきつかった。

残高1000円切っても簡単には諦めなかった。

 

今回はきつい。。。

もう終わりか。。。

毎日葛藤の日々だった。

 

そんな時に、勝負所がやってきた!

仕入れ値5億の案件。

机上の計算で利益8000万円ほど。

 

これはいけるぞ!

心の中でガッツポーズ!

久しぶりに生気がみなぎってきた!

 

一応補足しますが、会社に全然お金がなくてどうやって5億もの買い物するんだと思われるかもしれませんが、不動産担保に借入れをして返済をしている実績だけは良かったのです。

だからこの状況下でも借入おこして買えたんです。

手付金1000万円ならなんとかなりそうだし、金融機関も貸してくれる太鼓判を押してくれた!

これで販売した手付金でなんとか運転資金をまかなえる。

すべてのお膳立ては完成した。

 

このプロジェクトに全てを掛けた!

 

とはいえ、会社の懐事情はそのときも火の車状態。

毎日督促の電話が鳴りっぱなし。

会社にも取り立てばかり。

このプロジェクトを壊すわけにはいかなかったので、僕は誰にもしゃべらなかった。

狭い業界だから邪魔が入ったらシャレにならない。

我慢。我慢。我慢。我慢。我慢。ひたすら我慢。

罵声を浴びせられても、胸ぐらつかまれても。

 

僕は一人で心に決めた。

今でも忘れもしない、夜中にその現場の前でずっと考えて。

 

このプロジェクトが出来なければ会社をたたもうと。

 

結果を言うと、出来なかった。

この業界には談合じみたところがある。

言わば出来レース

今回も取引先といくらなら買えるというのを散々話していたから、もう買える確信をしていた。

取引先から言われた言葉は「某大手デベロッパーが2000万円差をつけて買いました。」と。

頭が真っ白になった。

僕は勝負に負けた。

思いっきり泣いた。

その晩はなけなしのお金握りしめて朝まで酒を飲んだ。

こんな姿を迷惑掛けてる人達に見られたら殺されるんじゃないかと思いながらも、むしろそうしてくれとまで考えた。

 

そうして僕は決めた。

自分との約束を守ろう。

 

僕の会社は倒産します。

 

僕は迷いを吹っ切り、会社をたたむ準備をする事にした。

 

ちなみに書いている内容は記憶を元に書いてます。

当時メモなんかしてません。そんな余裕ありません。

本当の気持ちを誰にも言えない状況だからメモなんか残せません。怖くて。

でも、経験者ならわかると思いますが、忘れたくても忘れられないので簡単に記憶が戻ります。

ここに書く内容よりも実際の日々はもっときつい精神状態であった事だけ付け加えさせて頂いて本日は終了します。

 

 

1.会社経営者の方へ

 

はじめまして。

 

この先、これを読む人がいるのかいないのかわからないが、日記代わりにでもなるかなとの思いで書いてみる。

 

ただ、

 

僕が会社を倒産させる時には、人のブログが大変役にたった。

なんせ経験談でしょうから。

僕のも役に立つと思う。

 

自己紹介してみます。


今の僕は36歳

不動産会社で働いている。

 

2010年、僕が29歳の時に不動産会社として起業を決意した。

当然絶対に成功する確信があって。

こういうブログは早く結論と経緯を知りたいものだから、よかった時の事はあとがきにして、結論から書いていこう。

あまり詳しく書くと特定されそうで怖いが、そんな有名人ではないかな。

 

2013年の年の暮れに僕は会社を倒産させる決意をした。

 

会社の規模は下記の通り

 

◆業種   不動産建売業

◆資本金  1000万円

◆売上高  10億3000万円(第三期)

◆従業員  3名

◆負債額  約2億2000万円

◆債権者  当時25件   

 

我ながら3年でよくやったなという気持ちであったが、不安だらけだった。

土地購入の資金もようやく大手都市銀行が貸してくれるようになっていた。

倒産させることになった経緯はさておき、具体的に会社を倒産させるとなるとどのような事が待ち受けているのかを書いていこうと思います。

初ブログはこんなところでお開きにしますが、時間が空き次第どんどん書いていきます。