会社を倒産させるという事

35歳で会社を倒産させた壮絶な日々を赤裸々に綴ります。

10.破産管財人との打合せ

3月5日の破産開始決定から2か月以上先の債権者集会。

裁判所から選任された破産管財人(弁護士)と面談をした。

 

破産管財人は女性との事。

なんとなく少し安心したのもつかの間、色々な事を厳しく追及された。

女性だから安心なんて考えた僕がバカだった。

今の世の中けっしてそんな事はないのだ。

 

これもネットで調べた情報だが、けっこう皆さん良い破産管財人で良かったというコメントがあるが、僕は正直厳しい尋問などに困惑した。

約2年前の口座からの出金についても容赦なく追及してくる。

「覚えていません」では済まないのだ。

真剣に思い出すなり、資料を探すなりしないとクリアできない。

過去の領収証もすべて提出しなくてはいけない。

僕は接待など多かったこともあり、飲食店の領収証も非常に多い。

出金も覚えていない事も多い。

「免責不許可になるかもしれません。」とまで言われた。

 

債権者集会までに破産管財人と弁護士3者の打ち合わせは計3回行った。

連絡はほぼ毎日くる。

 

内容は

 

◆新たに発見した債務について

 

◆事務所解約と立退き手続き

 

◆社有車処分(ローン)について

 

◆社員への過去の給料等

※インセンティブもあるので毎月変動したりする。その根拠を示す。

一番苦労したのがこれである。社員と結託してお金を逃がしたと最後まで疑われた。現にこれについては債権者集会でも追及された。

 

◆現場のクレームについて(経緯などの説明)

 

社会保険などの件

 

◆不足提出物など(ETCカードなど)

 

思い出せる範囲でこのくらいだが、今も破産管財人とはやりとりしている。

とにかく細かく細かく色々でてくる。

理由はそれだけ債権者が納得していないとの事だ。

 

僕の乗っていたベンツも業者がきて持っていかれた。

走り去るベンツを見て、すごく寂しい思いがしたのをはっきり覚えている。

僕は不動産業を始める前職は自動車業だったくらい無類の車好きだ。

ベンツもやっと手に入れた車だった。

 

そして破産管財人の指示と手配のもと事務所も撤去された。

会社の事務所を引き払い、最後に鍵を破産管財人に手渡した瞬間に、なんとなくホッとしたような気がした。

ここまでくると失うものは命くらいになってくる。

手に入れていたものが日を追いごとに、次から次へと手元から離れていく。

寂しさを通り越して、ホッとしている気持ちを今も覚えている。

 

もう僕は社長じゃない。

地位も名誉もなにもない。

社員も事務所も車もなにもない。

会社で飼って気に入っていた鯉は川に逃がした。

飼った時には5cm程度だったのに20cmにもなっていた。

 

ここまでの半年くらい僕はまともに寝ていなかった。

いや、寝られなかったといったほうが正解だろう。

でも、最後に事務所を引き払った日は、安堵感なのかぐっすり眠れた。

こんな事にはなってしまったけど、夢と希望もって始めて、現実の厳しさを味わったり、サラリーマンでは経験できないような喜びも経験できた。

とにかく突っ走り続けて、疲れてしまったかな。。。