会社を倒産させるという事

35歳で会社を倒産させた壮絶な日々を赤裸々に綴ります。

5.会社設立から倒産までの軌跡 ~一年生になったら~

僕はいまだに自分のようにギリギリで独立した人と会っていない。

ギリギリお金が足りるならまだしも、既に足りないのだ。

赤字10万円と書いたが、そこには生活費もなければ来月の事務所の家賃はどうするんだという話もある。

会社も辞めた。まわりにも独立すると宣言していた。

この時点で実は「行くも地獄、帰るも地獄」となってしまった。

 

そして晴れて

 

2010年4月22日

僕の会社は登記された。

 

不動産業者として必要な宅建業者免許登録に約160万円かかるのでまだ活動できないが、僕は社会的に

 

 

 

社長になったのだ。

 

 

 

本当に神様は優しい。

昨日までただの会社員だった僕に先払いで社長のイスに座らせてくれた。

あとは僕が本当の意味で社長になれるかだ。

 

問題は赤字をどう解消するかだ。

「う~ん、社長ってのは大変だ。」

なんて考えながら、どこか僕は楽しんでいたと思う。

こんな人間は社長になるべきではないと今は冷静にそう思う。

 

有名な名曲がある。

 

「一年生になったら」

 

♪友達100人できるかな~♪

 

有名なフレーズです。

 

僕は社長一年生とはいえ社長は社長だ。

今までのように仲介手数料300万円もらったら歩合30万円しかもらえないのとはわけが違う。

 

とりあえず一件売れれば少なく見ても

 

♪現金100万できるかな~♪

 

と、呑気に構えていたのだ。

 

ちなみに話は大きくそれて全く関係ない話をする。

この「一年生になったら」という名曲。

怖い都市伝説があるのを皆さんはご存じだろうか?

 

「一年生になったら」

 

一年生になったら

一年生になったら

ともだち100人できるかな

100人で食べたいな

富士山の上でおにぎりを

パックンパックンパックンと

 

きっと誰でも歌えるだろう。

素晴らしい歌だと僕も思う。

 

しかし・・・。

 

よく考えてみよう。

友達が100人できたなら、自分入れると本来101人なのだ。

ところが歌詞の中では100人で食べたいなとなっている。

つまり1人足りてないのだ。

 

今はネット社会なので調べればでてくるが、ここまで書いたので書いておこう。

この足りていない1人にはモデルがいるという都市伝説があるそうだ。

 

この曲が作られたのは戦時中で、いつ誰が死ぬかわからない状況の中で作られた曲だという。

友達が100人できたとして、その中の1人は死んでしまうというほど悲惨な死亡率だった。

 

戦時中に足の悪い子供がいて、その子は友達たちと共に行動することが出来なかったために、足手まといの子供は大人たちの手によって殺(あや)められという説だ。

この曲にその子の想いを乗せることで、弔いの意味を込めて、それを乗り越えようとした話だそうな。

 

 

 

僕がわざわざこれを書いたのは訳がある。

たしかに♪現金100万できるかな~♪

このように楽観的には考えていた。

あくまでも現代版だと思っている。

 

僕は戦争は語り継がなくてはならないし、日本人として忘れてはいけないと強く思っている一人だ。

昔社員旅行で「知覧特攻平和会館」に行ったときに人生観が変わったのだ。

戦争ものの映画を観ることが多くなった。

「永遠のゼロ」もそうだ。

日本はなんとも理不尽で、人間が人間らしく生きていない時代があった。

2度と繰り返してはいけないと思う。

戦争について話し出すと、ブログの趣旨が変わるほど永遠続けられるのでこの辺にしておくが、結局言いたいことは、現代の世の中においての大抵の事は幸せだという事なんだ。

 

嫌なものは嫌だと言える。

やりたいことをやれる。

言いたいことを言える。

おいしいご飯も食べれる。

悩み事で悩めるだけ幸せだと思う。

 

だから僕は、作った会社が赤字スタートでもたいした問題だと思っていなかった。

むしろこうやって笑い話にできる日がきてるわけだから幸せなんだ。

現代では自分で自分を殺めない限りは、あらゆる全ての事が笑い話になる事を僕は知っているから。