会社を倒産させるという事

35歳で会社を倒産させた壮絶な日々を赤裸々に綴ります。

5.Xデーまでの日々

街はコートを着る人も増えてきた。

風もだいぶ冷たい。

 

「会社を倒産させるという事」

僕の中の船は大海原への航海が始まったばかりだ。

何が起こるのか想像もできなかった。

 

この時の僕の体重は98kgもあった。

ストレスも半端ではなかった。

ちなみに今の僕はジムに通い体重も73kgになりだいぶ筋肉質になってきた。

食べる事くらいしか喜びがなかったからだと思う。

 

車はベンツを乗っていた。自慢のSクラスだった。

この車もローンで買っているからいつか持っていかれるんだなと、ひとつひとつのものにも感慨深くなっていた。

 

早くXデーが来ないか。

この時の時間はものすごく長く感じた。

なんせ前向きな仕事なんで何一つない。

全部整理する事だけだから。

 

僕の心の中は決めていても、まだ世間は知らない。

だから当然相変わらずの着信の数と会社への訪問の数。

電話はほとんど出ていない。

会社への訪問も出ていない。

事務の子も心配する。

運が良かったのは、僕の会社はマンションの1室だから実はオートロックになっていた。

不動産屋らしくないが、僕は派手な店構えでやるよりも「隠れ家」のような雰囲気が好きだった。

だから誰が来ているかはわからなかったが、僕は居留守をつかえた。

本気で殺されるかもしれないと考えていたのででれなかった。

会社を出るのはいつも深夜にコソコソとという感じだった。

 

しかしながら、いかんせん狭い業界なので仲良い人から「○○(債権者)が躍起になってお前を探してるぞ」などという声も耳に入っていた。

会社へのメールの数も内容もすごい。。。

留守番電話も殺気立った声が残っている。。。

 

「本気で殺されるかもしれない」

 

この時に遺書を書くべきかどうか悩んでいた。

でも遺書に書く内容は謝罪しかない。

書いてもしょうがないか。。。

どうしてここまで真剣に悩んでいたかというと理由があった。

丁度その頃に世の中では事件があった。

某餃子チェーン店の社長が射殺された事件だ。

それもあって僕は無性に敏感になっていた。

「僕には殺されるような理由がある。」

そう考えていた。

 

迷惑をかけた人たちに対して本当に失礼だし、自分勝手な話になるが、会って話ができる心の余裕はまったくなかった。

たまに電話やメールで話しては「なんとか頑張ります」というのが精いっぱいだった。

ここまでくると「頑張ります」なんて言葉は便利な日本語なだけで何の役にもたたない。

いつまでに、どうやって、できなかったらどうする。

これを求められる。当然だと思う。

僕が相手方でも同じだろう。

「会社を潰すつもりなのか?」とも聞かれた。

「いえ、なんとか切り抜けるつもりでいます。」

と、答えるのが精いっぱいだが、何の解決もしない。

すべてXデーまでの辛抱だ。

そう思うしかなかった。

 

読んでいただいている方の中には、僕の事をなんて勝手な人間なんだと感じるかもしれない。

男だったら逃げずに正々堂々としたい気持ちはもちろんあった。

僕は人より強いほうだと思う。

ただでは死なない男だと今でも思う。

でも、この時ほど恐怖を感じていた事はない。

色々な事を考えていた。

東日本大震災でお亡くなりになった方達や、事件などに巻き込まれて夢半ばで命を落とされた方達を想えば僕なんかは生きてるだけで丸儲けじゃないかと。

なんとか歯を食いしばって頑張ろうと思った。

 

ある時ネットで自分の会社を検索した時の事。

 

「〇〇(僕の会社名)不渡り」

 

というタグが上部についていた。

「・・・!?」

正直驚いた。

何が驚いたかというと僕は手形や小切手の決済をしていないので不渡りになるという事はありえなかった。

嫌がらせか?とも思った。

色々調べたら、多い検索ワードがでてくるらしい。

その後まもなくしてこのタグは増えていった。

 

「〇〇(僕の会社名)破産」

「〇〇(僕の会社名)倒産」

「〇〇(僕の会社名)○○(僕の個人名)」

 

ネット社会は怖いな、本当そう思った。

仲良い方から心配の電話などももらった。

それでも僕は「なんとか頑張りますから!」と気丈に振舞っていた。

 

この頃、2件あった在庫も1件無事にお客様にお引渡しをして残り1件となっていた。

この1件を無事にお引渡しできればいよいよXデーを迎える。

最後の気力を振り絞って毎日毎日生きていた。

 

まさか最後の最後の1件でこんな事になるとは。。。

 

僕は落胆した。。。