会社を倒産させるという事

35歳で会社を倒産させた壮絶な日々を赤裸々に綴ります。

4.顧問弁護士への相談

11月某日、よく晴れていたが、すっかり風も冷たくなってもう秋という感じ。

僕は顧問弁護士に初めて会社を倒産させる相談に行った。

 

「先生、今の裁判の件も心配なのですが、実は会社を整理しようと思うんです。」

 

弁護士費用の支払いの遅延もあったので弁護士の先生も気づいていたかもしれない。

この手の話は慣れているからなのか先生は驚きもしなかった。

 

ちなみにその時お願いしている裁判もなんとも悲しい裁判だった。

これに関しては実は現在も進行しているので、多くは書けないが、近隣トラブルであった。

今となって考えれば、勝った負けただけで物事を考えていいのかはわからないが、決して負ける裁判ではなかった。

この裁判も僕が会社を倒産させる事に踏み切った理由の一つだろう。

 

あれは4回目の裁判の日だった。

毎回同席して裁判官に説明をしてくれていた設計士がいた。

その設計士が3回目の裁判の時に計算ミスをしてしまった。

その計算が成り立てば、その回で終わるかもしれないという大事な局面であった。

今考えると、設計士はそのミスですごく自分を責めて追いつめてしまったのではないかと思う。

そして迎えた4回目の裁判の日。

なんとかミスを挽回して良い結果になるのではないかと僕は期待していた。

ところが、待てど暮らせど設計士は来ない。

結局その日の裁判は終わってしまい、こちらはなにもできないままになってしまった。

 

いったいどうしたんだ・・・。

なんで来ないんだ・・・。

昨日も電話でお願いしたばかりなのに。

 

それから間もなく工務店の社長から電話が入った。

 

「○○さん(設計士)、亡くなりました。朝事務所行ったらパソコンにもたれかかっていて、急いで救急車で病院に行きましたが、もう息を引き取っていて。」

 

僕は言葉がでなかった。

その電話で僕が何を話したかそのあとは覚えていない。

 

僕はその設計士を一度だけ罵倒したことがある。

それに関しては、いまだに僕は悪くないと思っているのだが、不思議なもので亡くなったとなると、なにもかもその人に対して後悔してしまう。

僕のほうが、ずっと年下なのに怒鳴られてどんな気持ちだったかなって。

ストレスあたえてしまったのかな。。。

苦しませてしまったのかな。。。

とか、とにかく考えてしまう。

 

こんな日でも僕は夜業者と食事に行かなくてはいけなった。

そう、まわりに僕が倒産させるのを悟られてはいけなかったから。

いつもと同じような生活をしなくてはいけなかった。

違うのは頭の中だけ・・・。

人前では笑顔でいなくてはいけないから、僕は時々自分が多重人格者だと思うぐらいになっていた。

この日は特にとてもそんな気分にはなれなかったが、それでも行かなくてはならない。

食事が終わって一人になれたのが深夜3時過ぎだったと思う。

ようやく一人になれた。

設計士の事が脳裏にうかんだ。

いや、この日は設計士の事ばかり考えていた。

一人になった僕は、いい加減涙も抑えられずにいた。

もうとまらなかった。色んな気持ちが入り混じって。

この日を境に一つの思いが僕を苦しめ始めるはじまりだった。

 

「いったい俺は、何人の人を不幸にするんだ」

 

「夢のマイホーム」という言葉がある。

僕が不動産屋として独立したのは、稼ぎたいのももちろんだが、やっぱりお客さんに幸せになってほしいという思いが強かった。

銀座まるかん創業者の「斉藤一人さん」の本を読みあさっていた。

その斉藤一人さんの影響で、目の前の人を片っ端から幸せにしたいって考えていた。

僕は「夢のマイホーム」を人に提供できる仕事に就いていて本当に幸せだと思っていた。

 

それが今は・・・。

本当に情けなかった・・・。

設計士がこんな事になってしまった時に不謹慎ではあるが、本音はもう死んでしまいたかった。

本気で自分なんかいないほうがいいと考えていた。

この時の僕の状況は良いことなんか一つもなかった。

毎日罵声を浴びて、携帯電話は途切れる事無くなり続け、会社の電話もなり続け、自宅には脅迫にもとれるような電報が届く始末。

もう心身共にクタクタだった。

 

この頃の心境を綴れば本1冊2冊くらい軽く書けるくらいだと思う。

でもまだ倒産に向けて走り出したばかり。

 

僕は倒産の第一歩として弁護士事務所にいるのだ。

 

裁判の件は、設計士の事もあるし、僕は諦めていた。

「先生、裁判の件はもう手を引いて後処理お願いします。」

そう頼んだ。

そもそも倒産しようとしているのに僕には選択肢もなにもないのも事実だ。

 

会社を倒産させるという事について話を進めた。

弁護士の先生は確かに慣れているので、僕があらかじめ作成しておいた債権者リストと会社の状況をまとめた書類を見るなり、こう言った。

「この状況なら会社潰してやりなおしたほうがいいですよ。まだ若いんだし、いくらでもやり直しできるから。」

僕は日々の罵声に慣れてしまったせいか、てっきり先生に怒られるんじゃないかと心配していた。

でも答えはあっさりしたものだった。

「これなら少額管財でいけるし、すぐ終わりますよ。」と、言われた。

 

これに関しては後に少額管財ではいけずに、時間も費用もかなりかかるものになってしまった。

 

この日、先生に相談した事ですごく気持ちが楽になった。

色々心配事はあるものの、先生がうまくやってくれるから大丈夫だ!

と、確信した。

 

ちなみに時期に関して聞かれたが、僕の希望で、今ある在庫が契約済のお客さんに無事に引き渡してから倒産したいと答えた。

この時僕にできるせめてもの誠意のつもりだった。

それをしないで手付金だけ預かって倒産したら、対象の不動産は競売にかけられ、お客さんから預かっている手付金がお客さんの手元に戻らない事くらい僕にも容易に想像できたからだ。

弁護士に任せれば、債権者達に弁護士から通知を送り、一切のやりとりを任せられるとの事。

まだできない。お客さんに土地を引き渡すまでは。

 

それから約2か月近く我慢の日々は始まった。

なにがあっても倒産する事は言ってはいけない。そんなぎりぎりの毎日だった。

 

とにかく方向性は決まった。

あとは時期を待つだけ。

 

Xデーは2013年12月