会社を倒産させるという事

35歳で会社を倒産させた壮絶な日々を赤裸々に綴ります。

6.誤算そして誤算

不動産会社の社長としてお客様との最後の仕事だった。

もうこれ以上はやりたくてもできない。

最後くらい良いものにしたいと思っていた。

 

会社経営もこのくらいまでいくとどこからも運転資金を貸してくれる金融機関がなくなってしまうものだ。

当然僕も銀行やノンバンクにあたっていた。

1社だけノンバンクが1000万円を貸してくれていたのだ。

ところがその返済期日も過ぎており返せずにいた。

当然その会社からも毎日連絡がきていた。

自宅にも来ていた。

問題はここからだ。

 

僕は申し訳ないとは思いながらも、この会社には返済できずに会社を倒産させるだろうと思っていた。

ところがだ。

お客様にお引渡しする土地をその会社が差し押さえてしまったのだ。

引き渡しまであと10日。

登記簿謄本を確認した司法書士からの連絡でそれを知った。

僕は焦った。

中々文章では臨場感が伝えられないが、背筋が凍りついた。

この土地を引き渡して丁度1000万円残る予定でいた。

その1000万円を差し押さえられてしまったのだ。

この頃、建築現場もあったが、工務店への支払いも滞っていたので7件の建築現場の工事がストップしていた。

けっこうな金額ではあったが、焼け石に水かもしれないが工務店の社長にこの1000万円を支払う約束をしていた。

僕のせいでこの工務店の経営も危うくなっていたのだ。

本当にお世話になった社長なので、少しでもできる限りの事はしようと思っていたのだ。

もう限界地まできている事は十分伝わってきていた。

払えないって知ったら自殺するんではないか・・・。

はたまた殺されるんではないか・・・。

もうなんにも手につかないくらい何もかも嫌になっていた。

 

不特定多数の方が見ることができるブログなので、書けるギリギリのところで書いてはいるが、実情は全てもっともっとひどかった。

だいたいこのくらいまでなってくると、道を歩くにしても必要以上にキョロキョロしてしまう。

なるべく人に背中を向けないようになる。

異常なほどに音に敏感になる。

眠れない、寝たら起きれない。

起きて携帯電話の着信履歴を見たくない。

落ち着ける時間がない(深夜も電話が鳴ってる)

こんな状態になる。

 

話を進めます。

 

1000万円の差し押さえはついたもののお客様への土地の引き渡しは差し押さえを解除して無事に終わった。

この日のうちに工務店の社長に連絡をして約束していたお金を支払う事ができなくなった旨、あとは会社をたたむ事を伝えた。

僕が外部の人に初めて伝えた瞬間だった。

工務店の社長は僕にこう言った。

「なんとか頑張れないんですか?でもここまできてしまっているし無理ですよね。僕もきついからわかりますよ。社長(僕の事)の事だからまた別の形でうまくやるつもりでしょ?その時は助けて下さいよ。」

意外だった。罵声のひとつもあるかと思っていた。

電話を切って僕は悔しいやら情けないやら申し訳ないやらで、涙が止まらなかった。

この社長は毎回債権者集会に出席している。

来月のも間違いなく来られるだろう。

僕が一番迷惑をかけてしまったと思っている人だが、今まででたったの一回も僕を責めなかった。

迷惑を掛けてしまっている方は多数いるので、一番という言い方は語弊があるかもしれないが、金額的にも、それをとりまく様々な事柄的な意味で。

抱えていた裁判では僕のかわりに責められる立場にもなってしまっているのだ今も・・・。

 

いよいよ業務も終わり、弁護士に会社を倒産させる手続きを進めてもらうようお願いするところまできた。

この後僕には

 

更なる誤算が待っていた。

 

顧問弁護士にアポイントを取り、事務所に伺った。

「先生、以前ご相談した会社をたたむ件ですが、すべて業務が終わりましたので進めて下さい。」

そのように依頼をした。

そのあとの先生の言葉に僕は驚いた。

「実はね社長、私にはそれができないんですよ。」

「・・・!?」

言葉を失いかけたがすぐに

「なんでですか?以前やっていただけると仰ったじゃないですか?」と続けた。

先生の見解はこうだった。

現在依頼して進行中の裁判がある。

こちらは訴えられている側だが、「僕の会社」「工務店」「お客様」の3者が訴えられているのだ。

簡単に言うとこの3者は仲間であるから当然、僕の顧問弁護士が3者を担当している。

ここで僕が倒産となればこの「工務店」「お客様」の2者は債権者となる。

簡単に言うと「仲間」だったものが、「敵対関係」となる。

先生の説明によると、一度弁護した人間を敵対関係にする事は弁護士法に抵触するらしい。

 

僕のXデーは振り出しにもどってしまった。

この時、街はクリスマスも終わりすっかり年の瀬になっていた。

僕は年内に手続きをして、せめて少しでもすっきりした正月を迎えたいと考えていた。

今から他を探してではさすがに間に合わないだろう。

年を越してからXデーを迎える事を余儀なくされてしまった。

弁護士も探さなくては。。。

5.Xデーまでの日々

街はコートを着る人も増えてきた。

風もだいぶ冷たい。

 

「会社を倒産させるという事」

僕の中の船は大海原への航海が始まったばかりだ。

何が起こるのか想像もできなかった。

 

この時の僕の体重は98kgもあった。

ストレスも半端ではなかった。

ちなみに今の僕はジムに通い体重も73kgになりだいぶ筋肉質になってきた。

食べる事くらいしか喜びがなかったからだと思う。

 

車はベンツを乗っていた。自慢のSクラスだった。

この車もローンで買っているからいつか持っていかれるんだなと、ひとつひとつのものにも感慨深くなっていた。

 

早くXデーが来ないか。

この時の時間はものすごく長く感じた。

なんせ前向きな仕事なんで何一つない。

全部整理する事だけだから。

 

僕の心の中は決めていても、まだ世間は知らない。

だから当然相変わらずの着信の数と会社への訪問の数。

電話はほとんど出ていない。

会社への訪問も出ていない。

事務の子も心配する。

運が良かったのは、僕の会社はマンションの1室だから実はオートロックになっていた。

不動産屋らしくないが、僕は派手な店構えでやるよりも「隠れ家」のような雰囲気が好きだった。

だから誰が来ているかはわからなかったが、僕は居留守をつかえた。

本気で殺されるかもしれないと考えていたのででれなかった。

会社を出るのはいつも深夜にコソコソとという感じだった。

 

しかしながら、いかんせん狭い業界なので仲良い人から「○○(債権者)が躍起になってお前を探してるぞ」などという声も耳に入っていた。

会社へのメールの数も内容もすごい。。。

留守番電話も殺気立った声が残っている。。。

 

「本気で殺されるかもしれない」

 

この時に遺書を書くべきかどうか悩んでいた。

でも遺書に書く内容は謝罪しかない。

書いてもしょうがないか。。。

どうしてここまで真剣に悩んでいたかというと理由があった。

丁度その頃に世の中では事件があった。

某餃子チェーン店の社長が射殺された事件だ。

それもあって僕は無性に敏感になっていた。

「僕には殺されるような理由がある。」

そう考えていた。

 

迷惑をかけた人たちに対して本当に失礼だし、自分勝手な話になるが、会って話ができる心の余裕はまったくなかった。

たまに電話やメールで話しては「なんとか頑張ります」というのが精いっぱいだった。

ここまでくると「頑張ります」なんて言葉は便利な日本語なだけで何の役にもたたない。

いつまでに、どうやって、できなかったらどうする。

これを求められる。当然だと思う。

僕が相手方でも同じだろう。

「会社を潰すつもりなのか?」とも聞かれた。

「いえ、なんとか切り抜けるつもりでいます。」

と、答えるのが精いっぱいだが、何の解決もしない。

すべてXデーまでの辛抱だ。

そう思うしかなかった。

 

読んでいただいている方の中には、僕の事をなんて勝手な人間なんだと感じるかもしれない。

男だったら逃げずに正々堂々としたい気持ちはもちろんあった。

僕は人より強いほうだと思う。

ただでは死なない男だと今でも思う。

でも、この時ほど恐怖を感じていた事はない。

色々な事を考えていた。

東日本大震災でお亡くなりになった方達や、事件などに巻き込まれて夢半ばで命を落とされた方達を想えば僕なんかは生きてるだけで丸儲けじゃないかと。

なんとか歯を食いしばって頑張ろうと思った。

 

ある時ネットで自分の会社を検索した時の事。

 

「〇〇(僕の会社名)不渡り」

 

というタグが上部についていた。

「・・・!?」

正直驚いた。

何が驚いたかというと僕は手形や小切手の決済をしていないので不渡りになるという事はありえなかった。

嫌がらせか?とも思った。

色々調べたら、多い検索ワードがでてくるらしい。

その後まもなくしてこのタグは増えていった。

 

「〇〇(僕の会社名)破産」

「〇〇(僕の会社名)倒産」

「〇〇(僕の会社名)○○(僕の個人名)」

 

ネット社会は怖いな、本当そう思った。

仲良い方から心配の電話などももらった。

それでも僕は「なんとか頑張りますから!」と気丈に振舞っていた。

 

この頃、2件あった在庫も1件無事にお客様にお引渡しをして残り1件となっていた。

この1件を無事にお引渡しできればいよいよXデーを迎える。

最後の気力を振り絞って毎日毎日生きていた。

 

まさか最後の最後の1件でこんな事になるとは。。。

 

僕は落胆した。。。

 

 

4.顧問弁護士への相談

11月某日、よく晴れていたが、すっかり風も冷たくなってもう秋という感じ。

僕は顧問弁護士に初めて会社を倒産させる相談に行った。

 

「先生、今の裁判の件も心配なのですが、実は会社を整理しようと思うんです。」

 

弁護士費用の支払いの遅延もあったので弁護士の先生も気づいていたかもしれない。

この手の話は慣れているからなのか先生は驚きもしなかった。

 

ちなみにその時お願いしている裁判もなんとも悲しい裁判だった。

これに関しては実は現在も進行しているので、多くは書けないが、近隣トラブルであった。

今となって考えれば、勝った負けただけで物事を考えていいのかはわからないが、決して負ける裁判ではなかった。

この裁判も僕が会社を倒産させる事に踏み切った理由の一つだろう。

 

あれは4回目の裁判の日だった。

毎回同席して裁判官に説明をしてくれていた設計士がいた。

その設計士が3回目の裁判の時に計算ミスをしてしまった。

その計算が成り立てば、その回で終わるかもしれないという大事な局面であった。

今考えると、設計士はそのミスですごく自分を責めて追いつめてしまったのではないかと思う。

そして迎えた4回目の裁判の日。

なんとかミスを挽回して良い結果になるのではないかと僕は期待していた。

ところが、待てど暮らせど設計士は来ない。

結局その日の裁判は終わってしまい、こちらはなにもできないままになってしまった。

 

いったいどうしたんだ・・・。

なんで来ないんだ・・・。

昨日も電話でお願いしたばかりなのに。

 

それから間もなく工務店の社長から電話が入った。

 

「○○さん(設計士)、亡くなりました。朝事務所行ったらパソコンにもたれかかっていて、急いで救急車で病院に行きましたが、もう息を引き取っていて。」

 

僕は言葉がでなかった。

その電話で僕が何を話したかそのあとは覚えていない。

 

僕はその設計士を一度だけ罵倒したことがある。

それに関しては、いまだに僕は悪くないと思っているのだが、不思議なもので亡くなったとなると、なにもかもその人に対して後悔してしまう。

僕のほうが、ずっと年下なのに怒鳴られてどんな気持ちだったかなって。

ストレスあたえてしまったのかな。。。

苦しませてしまったのかな。。。

とか、とにかく考えてしまう。

 

こんな日でも僕は夜業者と食事に行かなくてはいけなった。

そう、まわりに僕が倒産させるのを悟られてはいけなかったから。

いつもと同じような生活をしなくてはいけなかった。

違うのは頭の中だけ・・・。

人前では笑顔でいなくてはいけないから、僕は時々自分が多重人格者だと思うぐらいになっていた。

この日は特にとてもそんな気分にはなれなかったが、それでも行かなくてはならない。

食事が終わって一人になれたのが深夜3時過ぎだったと思う。

ようやく一人になれた。

設計士の事が脳裏にうかんだ。

いや、この日は設計士の事ばかり考えていた。

一人になった僕は、いい加減涙も抑えられずにいた。

もうとまらなかった。色んな気持ちが入り混じって。

この日を境に一つの思いが僕を苦しめ始めるはじまりだった。

 

「いったい俺は、何人の人を不幸にするんだ」

 

「夢のマイホーム」という言葉がある。

僕が不動産屋として独立したのは、稼ぎたいのももちろんだが、やっぱりお客さんに幸せになってほしいという思いが強かった。

銀座まるかん創業者の「斉藤一人さん」の本を読みあさっていた。

その斉藤一人さんの影響で、目の前の人を片っ端から幸せにしたいって考えていた。

僕は「夢のマイホーム」を人に提供できる仕事に就いていて本当に幸せだと思っていた。

 

それが今は・・・。

本当に情けなかった・・・。

設計士がこんな事になってしまった時に不謹慎ではあるが、本音はもう死んでしまいたかった。

本気で自分なんかいないほうがいいと考えていた。

この時の僕の状況は良いことなんか一つもなかった。

毎日罵声を浴びて、携帯電話は途切れる事無くなり続け、会社の電話もなり続け、自宅には脅迫にもとれるような電報が届く始末。

もう心身共にクタクタだった。

 

この頃の心境を綴れば本1冊2冊くらい軽く書けるくらいだと思う。

でもまだ倒産に向けて走り出したばかり。

 

僕は倒産の第一歩として弁護士事務所にいるのだ。

 

裁判の件は、設計士の事もあるし、僕は諦めていた。

「先生、裁判の件はもう手を引いて後処理お願いします。」

そう頼んだ。

そもそも倒産しようとしているのに僕には選択肢もなにもないのも事実だ。

 

会社を倒産させるという事について話を進めた。

弁護士の先生は確かに慣れているので、僕があらかじめ作成しておいた債権者リストと会社の状況をまとめた書類を見るなり、こう言った。

「この状況なら会社潰してやりなおしたほうがいいですよ。まだ若いんだし、いくらでもやり直しできるから。」

僕は日々の罵声に慣れてしまったせいか、てっきり先生に怒られるんじゃないかと心配していた。

でも答えはあっさりしたものだった。

「これなら少額管財でいけるし、すぐ終わりますよ。」と、言われた。

 

これに関しては後に少額管財ではいけずに、時間も費用もかなりかかるものになってしまった。

 

この日、先生に相談した事ですごく気持ちが楽になった。

色々心配事はあるものの、先生がうまくやってくれるから大丈夫だ!

と、確信した。

 

ちなみに時期に関して聞かれたが、僕の希望で、今ある在庫が契約済のお客さんに無事に引き渡してから倒産したいと答えた。

この時僕にできるせめてもの誠意のつもりだった。

それをしないで手付金だけ預かって倒産したら、対象の不動産は競売にかけられ、お客さんから預かっている手付金がお客さんの手元に戻らない事くらい僕にも容易に想像できたからだ。

弁護士に任せれば、債権者達に弁護士から通知を送り、一切のやりとりを任せられるとの事。

まだできない。お客さんに土地を引き渡すまでは。

 

それから約2か月近く我慢の日々は始まった。

なにがあっても倒産する事は言ってはいけない。そんなぎりぎりの毎日だった。

 

とにかく方向性は決まった。

あとは時期を待つだけ。

 

Xデーは2013年12月

3.倒産準備

前回書いたように、僕は最後の勝負に負けたので潔く会社を倒産させる準備にはいる事にした。

 

とはいえ、何から手を付けていいのかわからない。。。

この時実は在庫が2件あり、既にお客様とご契約をしていた。

この2件の土地だけは無事にお引渡しをしてあげたい。。。

手付金ももらってしまっているので。。。

そんな事もあり、すぐには行動に移せなかった。

 

情報収集をしよう。

今まで「倒産」という事実は頭をよぎりながらも、考えたくなかったので詳しい事は知らなかった。

とはいえ、同業者の社長さん達ともよく交流させていただいていたので、過去に倒産している社長さん達も実は少なくない。

悩んでいる暇はなかった。

僕はすぐに相談しに大先輩の会社を訪ねた。

 

「実は会社をたたもうと思っているんです。」

その会社の社長は驚きもせずに相談にのってくれた。

「うまく倒産したほうがいいよ!この先も生きていくんだから!」

と言われたが・・・。

「うまく・・・?」

意味がわからなかった。

うまくも何もお金ないですから・・・。

なんて会話をしながら、債権者や借入のリストをつくるように言われたので、すぐに会社に戻り作り始める事にした。

社内には社員もいたが、僕は平然を装いながら粛々と作っていた。

リスト化してみると、すごく現状がわかりやすかった。

それと同時に、お世話になった人たちに支払いができないという空しさと罪悪感で押しつぶされそうになった。

 

「社長、コンビニ行きますけど何か買ってきますかー?」

そうやって僕に話しかけてきたのは事務の子だった。

「いらない」

そう答えた。

「珍しいですねー!?具合でも悪いんですかー?」

そうか、いつもはこんな時は必ずここぞとばかり色々買ってきてもらってたんだ。冷静じゃないんだな。

「あー!ごめん!からあげあるだけ買ってきて!」

こんな会話をした。

なんで覚えてるって、具体的に倒産に向かう初日に、こんな日常のたあいもない会話もなくなるんだと思うと淋しかった。

なんか泣けてきたのを覚えている。

今まで当たり前だった日常がなくなるという事を初めて意識した瞬間だった。

 

僕はリストを眺めながら対策を練った。

対策といっても、どこにいくら支払って、どこがいくら債権が残るか。

どのタイミングで債権者に会社を倒産させる事を告げるか。

正直僕には判断ができなかった。

 

そうだ、顧問弁護士に相談してみよう。

 

心強い人を思い出した。

その顧問弁護士は実は、相談した大先輩が会社を倒産させた時の弁護士だった。

この時の僕は裁判を抱えていたので、この弁護士の先生とも頻繁に連絡をとっていた。

すぐに連絡して相談がある旨を伝え、翌日のアポイントを取り付けた。

 

さぁ、いよいよだ。。。

 

2.迷い

続きを書きます。

一応あらすじというか、僕は不動産会社の社長だった。

簡単に言えば土地を仕入れて売る仕事。

仲介もやっていた。

今倒産を考えている社長さん達の少しでも役にたてばと思い書き始めました。

まわりは敵しかいない。そんな心境だと思います。

何を信じていいかわからない。

そんな時に僕も多くの実体験をされた方のブログに勇気と情報をもらいました。

でも、本当にやばい倒産の仕方をした人はブログなんかに書けないかもしれない。

僕も1年間書く気持ちの余裕もなければ、書いたらやばい気がした。

なぜかというと、ネットで調べる多くには、「債権者集会に債権者は来ませんでした。」

と、ありました。

 

僕の第一回債権者集会は・・・

10人の債権者が来て罵声が飛んでました。

 

 

僕が倒産を意識し始めたのは2013年の夏ごろ。

まわりの同業者は誰もが儲かっている会社だと思っていた。

それは間違いない。。。

それもそのはず、僕は毎晩飲みにも行っていたし色んな人たちと交流した。

Facebookにも芸能人と遊んでいる写真をUPしたり。。。

今考えるとヤケ酒かな。

 

このまま行くと正月が越せない!

 

これを感じていたのは社長の僕だけ。

僕の会社の経営状態を知っているのは僕だけだから。

税理士は知っているけど呑気なもんだった。

「○○社長の手腕なら大丈夫ですよ!」と、言っていた。

正直、本気で言っているのか耳を疑った。

 

夏が終わる頃には、色々な支払いに滞りがでてきてしまった。

建築費、広告費、車のローン等々

電話が頻繁にかかってくる事が多くなり、事務の子も心配していたけど社員の給料は意地でも遅れることなく支払った。

僕自身もサラリーマン時代に嫌な思いをしたからだ。

特に建築費が重かった。

1回に200万円だの500万円だのの金額を支払う期日がきてしまう。

入金が途絶えてきてしまう。払うお金がない。

このころの僕にはお金を貸してくれる人が何人かいた。

600万円借りたり、2000万円借りたりしながらなんとかやりくりしていた。

「色んなことを夢見た社長業もこれが現実か。。。」

毎日こんな事を考えていた。

借りたお金で急場を凌ぐと、今度はどうやって返済するかという魔のサイクルに襲われることになる。

しかも急場だったので、利息は1ヶ月で最低でも10%で借りていた。

毎月毎月これを繰り返していくと、すぐに限界はきてしまう。

それはさすがに僕にもわかってはいたが、もうどうしようもない。

売ってお金になる在庫も少ない。。。

そもそも在庫全部売り切っても返しきれない。。。

取り急ぎ3000万円必要だ。。。もう待てない。。。いや、待たせられない。。。

 

毎日泣いたり怒ったり、頭抱えては苦しむ日々でした。

自殺する経営者の気持ちもよくわかる。

本当にそう思いました。

 

なんとか気持ちを入れ替えてみる。

経営者やれば誰もがピンチを通り抜けている。僕もそうだ。

会社の残高が1000円切った事が何回あったか?

3年間で売上10億までしたとはいえ、僕はもともと300万円だけ握りしめて始めた会社だ。

たった一人で。

最初からきつかった。

残高1000円切っても簡単には諦めなかった。

 

今回はきつい。。。

もう終わりか。。。

毎日葛藤の日々だった。

 

そんな時に、勝負所がやってきた!

仕入れ値5億の案件。

机上の計算で利益8000万円ほど。

 

これはいけるぞ!

心の中でガッツポーズ!

久しぶりに生気がみなぎってきた!

 

一応補足しますが、会社に全然お金がなくてどうやって5億もの買い物するんだと思われるかもしれませんが、不動産担保に借入れをして返済をしている実績だけは良かったのです。

だからこの状況下でも借入おこして買えたんです。

手付金1000万円ならなんとかなりそうだし、金融機関も貸してくれる太鼓判を押してくれた!

これで販売した手付金でなんとか運転資金をまかなえる。

すべてのお膳立ては完成した。

 

このプロジェクトに全てを掛けた!

 

とはいえ、会社の懐事情はそのときも火の車状態。

毎日督促の電話が鳴りっぱなし。

会社にも取り立てばかり。

このプロジェクトを壊すわけにはいかなかったので、僕は誰にもしゃべらなかった。

狭い業界だから邪魔が入ったらシャレにならない。

我慢。我慢。我慢。我慢。我慢。ひたすら我慢。

罵声を浴びせられても、胸ぐらつかまれても。

 

僕は一人で心に決めた。

今でも忘れもしない、夜中にその現場の前でずっと考えて。

 

このプロジェクトが出来なければ会社をたたもうと。

 

結果を言うと、出来なかった。

この業界には談合じみたところがある。

言わば出来レース

今回も取引先といくらなら買えるというのを散々話していたから、もう買える確信をしていた。

取引先から言われた言葉は「某大手デベロッパーが2000万円差をつけて買いました。」と。

頭が真っ白になった。

僕は勝負に負けた。

思いっきり泣いた。

その晩はなけなしのお金握りしめて朝まで酒を飲んだ。

こんな姿を迷惑掛けてる人達に見られたら殺されるんじゃないかと思いながらも、むしろそうしてくれとまで考えた。

 

そうして僕は決めた。

自分との約束を守ろう。

 

僕の会社は倒産します。

 

僕は迷いを吹っ切り、会社をたたむ準備をする事にした。

 

ちなみに書いている内容は記憶を元に書いてます。

当時メモなんかしてません。そんな余裕ありません。

本当の気持ちを誰にも言えない状況だからメモなんか残せません。怖くて。

でも、経験者ならわかると思いますが、忘れたくても忘れられないので簡単に記憶が戻ります。

ここに書く内容よりも実際の日々はもっときつい精神状態であった事だけ付け加えさせて頂いて本日は終了します。

 

 

1.会社経営者の方へ

 

はじめまして。

 

この先、これを読む人がいるのかいないのかわからないが、日記代わりにでもなるかなとの思いで書いてみる。

 

ただ、

 

僕が会社を倒産させる時には、人のブログが大変役にたった。

なんせ経験談でしょうから。

僕のも役に立つと思う。

 

自己紹介してみます。


今の僕は36歳

不動産会社で働いている。

 

2010年、僕が29歳の時に不動産会社として起業を決意した。

当然絶対に成功する確信があって。

こういうブログは早く結論と経緯を知りたいものだから、よかった時の事はあとがきにして、結論から書いていこう。

あまり詳しく書くと特定されそうで怖いが、そんな有名人ではないかな。

 

2013年の年の暮れに僕は会社を倒産させる決意をした。

 

会社の規模は下記の通り

 

◆業種   不動産建売業

◆資本金  1000万円

◆売上高  10億3000万円(第三期)

◆従業員  3名

◆負債額  約2億2000万円

◆債権者  当時25件   

 

我ながら3年でよくやったなという気持ちであったが、不安だらけだった。

土地購入の資金もようやく大手都市銀行が貸してくれるようになっていた。

倒産させることになった経緯はさておき、具体的に会社を倒産させるとなるとどのような事が待ち受けているのかを書いていこうと思います。

初ブログはこんなところでお開きにしますが、時間が空き次第どんどん書いていきます。